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04

私が決めた私の居場所、


それが私の財産

国際学部 国際学科4年
佐野 楓さん (山梨県立日川高等学校出身)

楓さん

:

最初は、専門学校も考えていたよね。弟と妹がこの先進学を控えていてお金もかかるし、私は専門学校に行って早く働くのがいいのかな・・・と思っていたんだ。でも、伯母(お父さんの姉)さんに相談したら、「大学生活は楽しいから、絶対に行ったほうがいい! 家の心配はすることないよ」と背中を押してくれた。

お父さん

:

伯母さんは、楓には自分の行きたい道を自分で選んで進んでほしかったんじゃないかな。

楓さん

:

お父さんたちは、大学進学でこうしたほうがいいよということを言わなかったね。

お父さん

:

中学生までは親が手を引っ張ってあげることもあったけど、高校生になれば、自分の力で道を切り拓いてほしかったし、親はたまに背中を支えてあげるぐらいでいいかなと思っていた。大学進学のことも、楓が行きたい道を、自分で選んでくれたらそれでいいしね。

楓さん

:

経済的なことを考えれば、地元の公立大学に進む方がよかったけど、それは学力的に難しくて・・・。二人に相談したら、「寮に入ることができるか、家賃が安い地域なら最低限の補助はできるよ」と言ってくれた。その言葉もあって、拓殖大学を志望する決意ができた。

お母さん

:

行きたい場所にどこへでも行けるのは、今しかないからね。絶対に、楓にとっていい経験になると思っていたの。

お父さん

:

お父さんも山梨から北海道の大学に行ったけれど、縁もゆかりもない場所で自分の居場所を一から構築する経験をしてみて、今思えばすごく貴重な数年間だった。だから楓にもそれを経験して欲しい、とも思ったんだ。ちょうど留学生寮のチューター制度で日本人学生の募集もあったしね。まわりに留学生がいる環境は楓にとってぴったりだと思ったし、何より寮費も安かったのは親としても助かったよ。

お父さん

:

楓は、国際学部に入りたいというよりも、拓殖大学の国際学部長である徳永先生のゼミに入りたいと言っていたね。

楓さん

:

高校時代、イギリスへ短期留学に行ったときに、住んでいる自分たちにとっては当たり前の場所でも、外から来た人にとっては、そこで観光ができて非日常になるんだなと感じたの。それから、まちづくりとか、自分の住んでいる場所をより豊かにすることに興味が湧いたんだ。進路を決める時に高校の先生に相談したら、徳永先生のゼミを勧めてもらったのが、学部選びの決め手かな。

お母さん

:

楓は学校の定期テストでは点数を取れていたけど、模試は苦手だったね。だから、推薦入試で合格できてホッとした。

楓さん

:

推薦入試で決まらずに一般受験に回ったら終わりだなっていうのが、家族の共通認識だったね(笑)。

お父さん

:

今は、徳永先生のゼミではどんなことを学んでいるのかな?

楓さん

:

フィールドワークを重視した、地域創生について。今は山梨県富士川町での活動がメインで、富士川町の特産品の柚子を使ったケーキだったり、アロマキャンドルを作ったり。あとは、廃坑跡地を利用した体験宿泊施設を盛り上げたりしているよ。こういうフィールドワークの経験が、4月から就職する地元の役所での仕事に活かせるといいな。

楓さん

:

コロナ禍で、寮にほぼ軟禁状態だった時は本当につらかった。キラキラの大学生活を思い描いていたら、それとはかけ離れていたから。授業は、一日中自分の部屋でオンラインだし、寮にはほとんど人もいなくて、さらに寮からもほとんど外出できないし・・・。

お母さん

:

何度か、泣きながら電話してきたよね。

楓さん

:

寮から出たい、別の場所に引っ越すか実家に帰りたいって泣いてた(笑)。それでも寮には4年間住んだおかげで、留学生ともたくさん交流することができたよ。

お父さん

:

世の中、自分の力だけではどうにもならないことや、思い通りにいかないことなんていくらでもあるからね。今ある問題に対して、自分がどう受け止めて、それにどう対応していけるか。楓がこういうことを経験できたのは、近い将来社会人になったとき、絶対に支えになると思ったんだよ。だから、「やれるところまではやってみなさい」とお父さんは伝えたんだ。

楓さん

:

コロナ禍の時もそうだったけど、所属している「大学祭実行委員会」でも、本当にいろいろなことが学べたと思う。200人規模の大所帯だから、どうしても自分と合わない人がいることもわかって。試行錯誤しながら、そういう人との付き合い方を学べたのは大きかった。もし、この大学に来てなかったら、それは学べていなかったかもしれないよね。それから放送部ではオンラインで大学の情報を発信したり、オープンキャンパスの学生スタッフを毎年務めたりと、拓殖大学で過ごした4年間のいろいろな経験が、私の財産になったよ。

(2024年12月対談取材)