朱理さん:
大学受験では、志望していた大学がことごとく不合格で…。お父さんとお母さんに申し訳ないなという気持ちが強かった。自暴自棄になった時期には浪人も考えたけど、その時は止めてくれたね。
お父さん:
浪人はそんなに甘くないし、朱理の性格を考えると、浪人してもいい結果は出ないんじゃないかなと思ったんだ。だったら、親としてできるだけのことをしようと思って、後期でも受験できるところをお母さんと探したよ。少しでも行きたい意思のある大学で、もし合格をもらえたら、そこで頑張って欲しいという気持ちがあったから。
朱理さん:
「こういう大学もあるよ」と調べてくれたのが拓殖大学だった。留学に興味があったし、留学生の受け入れに力を入れているところが、受験しようと思ったきっかけになったかな。
お父さん:
拓殖大学の後期日程では、複数学科受けても受験料が同じになる制度があって、それはありがたかった。
朱理さん:
受験当日には、必ず仕事を休んで見送りに来てくれたね。どんな時でも「頑張ってみれば」と背中を押してくれたのは心強かったよ。拓殖大学に合格したときは、実はまだまだ不完全燃焼だったけど(笑)、「ああ、解放されたな」という気持ちだった。
お父さん:
入学したばかりの頃はどんな気持ちだった?
朱理さん:
入学してしばらくは高校と同じようにオンライン授業だったけど、だんだんとコロナも落ち着いてきて、対面授業も復活してきた。そんな中で、最初は希望の大学に入れなかったことで落ち込みながらも、せっかく入った大学なんだから、最大限有効活用しないと損だなと思うようになってきたの。
お父さん:
気持ちに変化があったんだね。
朱理さん:
授業の時って、だいたいみんな後ろの方に座るんだけど、私は一番前のど真ん中に座って、「教授と黒板しか見えません!」という位置で授業を受けてた。そりゃ、友だちもなかなかできないよね(笑)。でもよく見てみると、私と同じように授業を受けている子も実はいて、そういう子たちと友だちになり始めたんだ。「置かれた場所で咲くべき」だなと思って、そこから考えが変わったかな。
お父さん:
この大学に通うようになって、友だちや先生方にすごく恵まれたね。親としては、特に先生方との距離の近さを感じているかな。
朱理さん:
高校までは、世界がすごく狭くて、高校主催のプログラムに参加する程度だった。でも大学に入ってみると、大学っていう枠組みが思ったよりも曖昧で、先生方は大学外との関わりを持っている人が多いんだよね。あとは、大学のプログラムに参加しても、そこで大学外の人たちとつながれることも知ったよ。いくつかの海外研修に参加したり、一年間大学を休学してフィリピンとデンマークにも留学した。映像コンテストに参加して受賞をしたり…。たくさんの経験をしたことで、大学の内外関係なくいろいろなことに挑戦できるようになったかな。
お父さん:
ところで、どうして、国際ビジネス学科を選んだの?
朱理さん:
商学部を志望する一方で、心理学部や経営学部、国際系の学部にも揺れて。最終的には拓殖大学の商学部に入学したけど、私が入った国際ビジネス学科は「ビジネス」と「国際系」の両方の要素を持っているから、自分の興味があることが全部回収できたんだ。大学では自分で授業を選ぶことができるから、心理学の授業を取ってみたり、いろいろな分野の勉強ができたのもよかった。
お父さん:
2年生で参加したカンボジアでの研修も、教授とのつながりがきっかけで知ったんだよね。この研修で、何か考え方は変わった?
朱理さん:
この研修は、大学主催のプログラムではないんだけど、大学での学びを活かせるいい機会になるんじゃないかと教授が紹介してくれたの。実際に参加してみたら、「自分にとっての当たり前は当たり前じゃないな」というのを実感したかな。コンドミニアムのようなところに泊まって、そこで自炊しながら2週間生活する中で、自分たちで屋台を運営するの。現地での市場調査や試作をして、屋台で作った物を販売するんだけど、そこで3日間で45万円稼がないといけなくて。最初は全然売れないし、失敗も多かったな…。
お父さん:
副リーダーをつとめてたよね。責任などを感じたりした?
朱理さん:
このまま終わったら、メンバーみんなが失敗体験だけで帰るハメになると思って…。どうすれば現状を改善できるか、今ある資源で何ができるのかを考えてみたの。あとは市場調査をもう一度やり直して、発想の転換で売り方もガラッと変えてみたら、最終日に目標が達成できた。自分がリーダーになってお金を稼ぎ出すという経験は初めてだったから、その面白さと大変さを身をもって知ったよ。
お父さん:
大学で学んでいたことが役立ったのかな?
朱理さん:
私が所属してる異文化コミュニケーション学のゼミで、日本人が海外に行って、現地の人と一緒に働いたり、物を売ったりするときに、どういう文化的な違いがあって、それをどうやって乗り越えたらいいのかを勉強してきたの。それが、屋台運営にすごく役立ったと思う。
お父さん:
この研修を経験して、多少の困難には負けない気持ちや、失敗を恐れずにチャレンジするところが見えてきたかな。失敗しても、なぜ失敗したのかを分析して、次につなげてみるというところが養われてきたと思うよ。
朱理さん:
大学で学ぶときの姿勢も、自分の価値観も変わったと思う。大学は、儲かる技術をそのまま教えてくれるところじゃなくて、理論や考え方の基礎を教えてくれるところ。その先にある、その理論の何を使って、どう活用していくかは自分次第だと思う。カンボジア研修の経験の中で、「あ、この知識は活用できるな」と発見があってからは、大学での勉強の受け取り方が変わったな。
(2024年12月対談取材)
お母さん:
高校3年の受験前に、蓮にとって大変な時期があったね。何かですごく落ち込んでいて、ガクッといろいろなことが落ちちゃって。どこにも気持ちをぶつけられなくて、親に八つ当たりしたこともあったし。私は何もできなくてもどかしかったけど、話を聞いてあげることはしようと思ってたの。
蓮さん:
実は、その頃に失恋しちゃって…。付き合っていた人と別れたんだ。初めての経験だったから、かなりショックで…。そこから偏差値もかなり落ちちゃった。
お母さん:
え⁉︎ 失恋…ぐらいで?(笑)
蓮さん:
僕にとっては一大事だったんだ。あの頃はいろいろな人生の岐路があって、大変な状態のまま受験に突入した感じだった。そんな中で大学の入学を許してもらえて、2人には感謝しかないです。将来の目標は明確だから、それにつながるような進路には進みたいなとは思っていたよ。
お父さん:
そんな中でも行きたい大学が見つかって、合格できたのはよかった。
蓮さん:
入学試験会場が文京キャンパスだったんだけど、大学内の雰囲気がすごく気に入って。それと、一緒に受験している受験生を見た時に、「この人たちと一緒に学びたい」という直感みたいなものもあったんだ。歴史のある大学だし、何より、初代校長で内閣総理大臣をつとめた桂太郎先生の銅像もあるし!
お父さん:
もうひとつ合格した大学があったけれど、自分で拓殖大学を選んだね。
蓮さん:
この大学に入学して何よりいいと思ったのが、先生方や大学の卒業生がすごく親身になってくれるところ。「拓殖大学北海道短期大学視察」に参加したときは、現地の卒業生方が温かく迎えてくれて、いろんな場所に連れて行ってくださったよ。あとは、大学の学生支援室の方が、「こういう企画があるけど、やってみない?」と勧めていただいたり。
お母さん:
人との距離が近いんだね。
蓮さん:
高校生の頃は、大学って自由で、放任される場所だと思っていたけど、実際に入ってみると違ってた。教授に相談すれば、「こういう場所がある」とか「こういう資格を取った方がいい」と、親身になってサポートしてもらえるんだ。
蓮さん:
拓殖大学には、日本の将来を背負って立つリーダーやスペシャリストを養成するための「桂太郎塾」という特別プログラムがあるんだけど、2年生になって塾生に応募して、合格することができた。議員や官僚の生の話を聞く機会があったり、塾生同士でディスカッションをしたり。僕は、地元に貢献できる政治家になりたいから、この経験が将来につながるかなって。
お母さん:
自分でも議会を見学しに行ってたね。いつ頃から、政治や行政を学びたいと思ったの?
蓮さん:
地元の掛川市は自然豊かだから、小さい頃から生き物に触れ合ってきた。生き物が支えられているのは、そこに備わっている自然環境だとわかってきて。さらに、その自然環境を守るのが政治や行政だというのが、中学3年の公民を学んで理解できたんだ。それで、高校に入ってからは政治や行政を将来学びたいと思って、大学の学部選びにつながったんだ。
お母さん:
志望校を決める時期には、志望校リストを見せてくれたりしたね。
私たちは口出ししなかったけど。
蓮さん:
政経学部は社会学の面もあって、行政や政治、法律など幅広く勉強できるんじゃないかと思ったし、そういう学び方がしたかった。それで、政経学部がある大学が1つの条件だった。
お父さん:
大学進学で東京に出たいとも言っていたね。
蓮さん:
政治とか行政の集積地だからこそ、「東京の大学」という条件も自分の中で大事にしていたよ。
お母さん:
大学1年の時に、麗澤会派遣団でブラジルに行ったね。大学の第二外国語はブラジル・ポルトガル語を選択しているし、いい経験になったんじゃない?
蓮さん:
麗澤会の海外派遣は、異文化を理解したり共感を持てるようするための制度なんだ。現地の学生たちとアマゾンに行ったり、一緒に発表をしたりとカリキュラムが充実していたし、何より自分にとって初めての海外だったから一番印象に残っている経験かな。あとは、現地で卒業生の方とお会いすることがあったんだけど、みなさんすごく温かく迎えてくださったんだ。派遣団は12人の学生と、3人の先生とで行ったのだけど、せっかく団員に選ばれたんだしいい機会かなと思って、まだ1年生ではあったけど団長に立候補したんだ。先輩方とどう仲良くなろうかなとか、全員の気運をどう高めようかなと、自分なりにいろいろ考えることができたよ。
お母さん:
ほかにも、能登半島のボランティアに行ったり、消防団に入ったり、自分でサークルを立ち上げたり…。いろいろな活動をしているね。やりたいことが多すぎて、体調を崩さないかが心配。
蓮さん:
大学では高校までのようなクラスがない分、いろいろな授業や活動ができるし、それを通してたくさんの人と仲良くなれる。それが、大学生活の魅力でもあると思う。
お母さん:
働き始めたら、やりたいことも自由にできないしね。今、やれることをやらせてあげるのも親のつとめかな。
蓮さん:
この2年間の経験は、将来、自分が政治家になるための土台になると思う。あとは、議会の傍聴に行った時に、議題の40%ぐらいが「教育」についてだったから、大学では小中高の教員免許も取得しようと頑張ってるよ。教員免許の取得や就活は、夢のための土台づくりのひとつだし、自分がこれからどう生きていきたいかという人生設計の土台にもなったかな。これから就活をすると思うけど、時間がある時にはできるだけいろいろな経験を積んでいきたいよ。
(2024年12月対談取材)
悠司さん:
高校に入学して2週間で学校に行かなくなって、それから数ヶ月後に高校を中退して…。あの時は、お父さんにもお母さんにも心配かけたね。
お父さん:
高校に通ってくれる方が親としては安心ではあったよ。でも、学校に魅力を感じられないなら無理に通わなくてもいいし、別の生き方もあるよなと思っていた。悠司は小さい頃から、興味のあることには夢中になるけど、興味がないことはやらない性格だったから、中学や高校みたいに満遍なく勉強をしなくちゃいけない環境には合わなかったな。だから、大学のように自分の好きな勉強ができる方が合っていると思う。
悠司さん:
退学してから、何もしない期間もあったけど、その後はリゾートバイトやイベントのバイトをしたり、塾のフリースクールに通った時期もあった。当時はそうやって過ごす中で、何かに挑戦したいと思ったんだ。
お父さん:
それから専門学校に入って、簿記の資格に挑戦したこともあったね。
悠司さん:
その頃から株式投資に興味があったから、簿記の資格を取って税理士を目指すのもいいのかなと思ったけど、自分のやりたいこととは少し違うなと感じて。その後は、運送会社の社員として2年ぐらい働きながら株式の勉強を続けてたけど、「そもそも俺って、経済の仕組みもちゃんとわかってないよな…」と気づいたんだ。それで20歳の時に、きちんと経済を学ぶために、大学受験に挑戦した。
お父さん:
会社員の頃から予備校にも通って、夜の時間に勉強していたね。仕事をしながら勉強も両立するのは大変そうだった。
悠司さん:
受験前の一年は、会社もスパッとやめて予備校に通いたいと言い出した時はどう思った?
お父さん:
悠司がやりたいことなら、頑張ってみなよという気持ちだったかな。
悠司さん:
予備校に通いはじめてから、最初は他の浪人生と一緒に授業を受けていたけど、3ヶ月ぐらいで行かなくなったりと、そこでもいろいろあった。最後の一年は本気でやらなきゃと思って、友達とも連絡を取らないようにしていたんだ。
お父さん:
あの時はつらそうだった。そうは言っても、代わりにやってあげられることじゃないしね。後押しすることしかできなかった。親がせっついても、かえって逆効果だと思ったんだ。
悠司さん:
拓殖大学は一般受験で受験回数も1回のみと決めていたから、本当の一発勝負だった。これでダメなら今年で終わりにしようと思っていた。
お父さん:
拓殖大学なら、家からも近くて、昔から馴染みのある大学だったから、お父さんもお母さんも賛成だったよ。実際に合格した時は、晴れて大学生になれたんだなとうれしかった。だいぶ遠回りはしたけど、ついに自分で見つけた道に一歩進めたと思えたよ。
悠司さん:
入学してすぐに受けた「アカスキ(アカデミック・スキル)」っていう、大学での学び方や学生生活の送り方を教えてもらえる授業でグループになった6人が、実は全員現役生じゃなかった。それで一気に打ちとけられて(笑)。あとは、大学は中学や高校とは違って自由度も高くて、自分にとってとても過ごしやすいよ。
お父さん:
一度社会に出て仕事をしたことは、今の大学生活に役立ってる?
悠司さん:
仕事をするといろいろな人と関わるから、大学で人とコミュニケーションを取るのにすごく役立ったと思う。僕は小さい頃から、情報をキャッチするのはけっこう得意だったから、それをまわりの友だちと共有することがよくあるよ。
お父さん:
大学に入ってからは、競技麻雀愛好会を自分で立ち上げたり、積極的にいろんな活動をしていて忙しそう。昔の悠司はリーダーになると、一人で突っ走っちゃうところがあったけど、大学生になってからはまわりをちゃんと見て、その上で仲間を巻き込みながら行動できるようになったみたいだね。
悠司さん:
最近は探検部の主将に立候補して、投票で主将に決まったんだ。企画を作って、それに共感してくれる人と一緒にいろんな体験をするんだけれど、企画力や調べ物をする力がついたと思う。部内では自由に話しやすい雰囲気を作っていった方が、面白い企画もたくさん生まれるかなと思って、それで自分で立候補したんだ。
お父さん:
それから、能登半島のボランティアを経験したり、インドネシアに海外派遣にも行かせてもらったね。
悠司さん:
麗澤会の海外派遣は、異文化のことを理解したり共感することを目的とした10日間ほどの研修制度で、大学で選抜された12名に選ばれたんだ。僕にとっては初めての海外経験で、とにかく全部が新鮮だった!初日に、インドネシア料理を食べたら、ちょっと口に合わなくて焦ったけど、2日目から急においしいって思ったし(笑)。インドネシアに行ってから、世界がより近くに感じられて、いろんなことに挑戦してみたいなと思うようになったな。
お父さん:
滞在中に熱を出して病院に行ったと聞いたから、無事に帰ってきた時は安心したよ。最近はいろんなところに所属しているから、近くで見ていて「少しオーバーワーク気味かな?」と思うこともあるけど、でも、今までで一番生き生きとしているね。
(2024年12月対談取材)
楓さん:
最初は、専門学校も考えていたよね。弟と妹がこの先進学を控えていてお金もかかるし、私は専門学校に行って早く働くのがいいのかな…と思っていたんだ。でも、伯母(お父さんの姉)さんに相談したら、「大学生活は楽しいから、絶対に行ったほうがいい!家の心配はすることないよ」と背中を押してくれた。
お父さん:
伯母さんは、楓には自分の行きたい道を自分で選んで進んでほしかったんじゃないかな。
楓さん:
お父さんたちは、大学進学でこうしたほうがいいよということを言わなかったね。
お父さん:
中学生までは親が手を引っ張ってあげることもあったけど、高校生になれば、自分の力で道を切り拓いてほしかったし、親はたまに背中を支えてあげるぐらいでいいかなと思っていた。大学進学のことも、楓が行きたい道を、自分で選んでくれたらそれでいいしね。
楓さん:
経済的なことを考えれば、地元の公立大学に進む方がよかったけど、それは学力的に難しくて…。二人に相談したら、「寮に入ることができるか、家賃が安い地域なら最低限の補助はできるよ」と言ってくれた。その言葉もあって、拓殖大学を志望する決意ができた。
お母さん:
行きたい場所にどこへでも行けるのは、今しかないからね。絶対に、楓にとっていい経験になると思っていたの。
お父さん:
お父さんも山梨から北海道の大学に行ったけれど、縁もゆかりもない場所で自分の居場所を一から構築する経験をしてみて、今思えばすごく貴重な数年間だった。だから楓にもそれを経験して欲しい、とも思ったんだ。ちょうど留学生寮のチューター制度で日本人学生の募集もあったしね。まわりに留学生がいる環境は楓にとってぴったりだと思ったし、何より寮費も安かったのは親としても助かったよ。
お父さん:
楓は、国際学部に入りたいというよりも、拓殖大学の国際学部長である徳永先生のゼミに入りたいと言っていたね。
楓さん:
高校時代、イギリスへ短期留学に行ったときに、住んでいる自分たちにとっては当たり前の場所でも、外から来た人にとっては、そこで観光ができて非日常になるんだなと感じたの。それから、まちづくりとか、自分の住んでいる場所をより豊かにすることに興味が湧いたんだ。進路を決める時に高校の先生に相談したら、徳永先生のゼミを勧めてもらったのが、学部選びの決め手かな。
お母さん:
楓は学校の定期テストでは点数を取れていたけど、模試は苦手だったね。だから、推薦入試で合格できてホッとした。
楓さん:
推薦入試で決まらずに一般受験に回ったら終わりだなっていうのが、家族の共通認識だったね(笑)
お父さん:
今は、徳永先生のゼミではどんなことを学んでいるのかな?
楓さん:
フィールドワークを重視した、地域創生について。今は山梨県富士川町での活動がメインで、富士川町の特産品の柚子を使ったケーキだったり、アロマキャンドルを作ったり。あとは、廃坑跡地を利用した体験宿泊施設を盛り上げたりしているよ。こういうフィールドワークの経験が、4月から就職する地元の役所での仕事に活かせるといいな。
楓さん:
コロナ禍で、寮にほぼ軟禁状態だった時は本当につらかった。キラキラの大学生活を思い描いていたら、それとはかけ離れていたから。授業は、一日中自分の部屋でオンラインだし、寮にはほとんど人もいなくて、さらに寮からもほとんど外出できないし…。
お母さん:
何度か、泣きながら電話してきたよね。
楓さん:
寮から出たい、別の場所に引っ越すか実家に帰りたいって泣いてた(笑)。それでも寮には4年間住んだおかげで、留学生ともたくさん交流することができたよ。
お父さん:
世の中、自分の力だけではどうにもならないことや、思い通りにいかないことなんていくらでもあるからね。今ある問題に対して、自分がどう受け止めて、それにどう対応していけるか。楓がこういうことを経験できたのは、近い将来社会人になったとき、絶対に支えになると思ったんだよ。だから、「やれるところまではやってみなさい」とお父さんは伝えたんだ。
楓さん:
コロナ禍の時もそうだったけど、所属している「大学祭実行委員会」でも、本当にいろいろなことが学べたと思う。200人規模の大所帯だから、どうしても自分と合わない人がいることもわかって。試行錯誤しながら、そういう人との付き合い方を学べたのは大きかった。もし、この大学に来てなかったら、それは学べていなかったかもしれないよね。それから放送部ではオンラインで大学の情報を発信したり、オープンキャンパスの学生スタッフを毎年務めたりと、拓殖大学で過ごした4年間のいろいろな経験が、私の財産になったよ。
(2024年12月対談取材)
彩さん:
受験校選びのとき、拓殖大学は通学に2時間半かかることもあって、「家から近い大学にしたら?」と、最初は反対だったね。
お母さん:
もちろん、反対したよ(笑)。でも、「長い人生のうちのたった4年間だから、頑張ってみたい」と彩に言われて、それもそうだなと思ったの。
彩さん:
通ってみたら、意外といけた!私と同じ駅から通っている友だちも何人かいるし、神奈川や埼玉、千葉から高尾駅まできていて、みんな遠くから通ってるんだな〜と、心強かった。1限がある日は5時起きで、6時過ぎには家を出るけど、お母さんが駅までの送迎をしてくれるから助かってるんだ。
お母さん:
彩のサポートで大変だったことももちろんあるけど(笑)。お母さんができることなら、応援したいなと思っているよ。
彩さん:
高校1年の時に、国際学部に行きたいという気持ちが出てきた。いろいろ調べると、地元の大学には希望の学部がなくて…。それで拓殖大学なら、自分のやりたい勉強ができて、家から通えなくもないかなと。何度も、地元の大学にしようか迷ったけれど、人生のうちの4年間を無駄にはしたくなかったから、最終的に自分が一番行きたい大学を選択できてよかったなと思ってる。
お母さん:
国際学部には、小さい頃の経験が影響してる?家族で何度もタイに行って、とくにお父さんと彩はタイの雰囲気がすごく好きだったね。
彩さん:
それもあるし、タイ人の優しい人柄がすごく好き。第二外国語でタイ語を選ぶことができたのも、拓殖大学を志望した理由のひとつ。大学在学中には、タイ語検定も取りたいなと思ってる。
お母さん:
語学のほかに、農村ホームステイや地域との交流ができる2週間のタイへの短期研修は、いい経験だったね。最初は心配しながら送り出したけど、すごく楽しかったって帰ってきてくれて安心した。
彩さん:
現地では大学に通ってタイ語の授業を受けて、放課後は現地の子と交流して、毎日いろいろなところに連れて行ってもらった。授業は、英語でタイ語の説明をされるんだけれど、私、英語が苦手だから先輩とかにすごく助けてもらいながら乗り切って。タイ語の授業なのに、英語の翻訳アプリを駆使して授業聞いたりしてた(笑)。
お母さん:
タイに行ったことで、得たものは大きいね。
彩さん:
悩むほどまでは考え込まずに行動したり、いろんなことに挑戦できるようになったかな。タイ研修に行ったのもほとんどが上級生だったから、実は正直不安だった。でも、先輩たちが本当にみんな優しくて、結果的にすごく楽しく過ごせた。それで、何事もやってみないとわからないなという考え方になったのかも。
お母さん:
お母さんが心配したり反対しても、自分でやりたいことはやっちゃうもんね!彩が一度決めたことだったら、最後までやり通しなさいという思いで見守っているよ。
彩さん:
今、国際学部のインスタグラムアカウントも自分たちで運営してるの。
将来海外で活躍したいと考えている学生のために、現地で活躍する卒業生にお世話になる『学友会海外在住卒業生訪問研修制度』へ、2年生の時に参加したでしょ?それで香港滞在時に、卒業生から「拓殖大学の国際学部って、SNSをやってないよね」と言われて。それで、一緒にこの研修に参加した国際学部の後輩とも、「拓殖大学の国際学部に入学してきたときに、何か情報あった?」と話したら、「あまりなかったよね」と。今の高校生って、インスタとかTikTokが情報収集のメインになるから、それなら自分たちでやってみようかということになったの。
お母さん:
何かプレゼンをしたの?
彩さん:
学部長に、こういう思いでSNSをやりたいとか、どういうことができるかを全部書き出して提出したら、「ぜひやってください」と言ってもらえて。ただ、2人での運営は毎回撮影に行くことが大変だったり、私たちも国際学部のすべてを正しく知っているわけではないから、私たちが知らないことを詳しく知っている友だちに情報提供してもらっているよ。みんな、快く協力してくれてる。
お母さん:
彩は小さい頃から、友だちとのコミュニケーションが上手だし、何事にも積極的に動くところは変わらないね。
彩さん:
最終的には高校生に見てもらうことを目標としていて、まずは在学生に知ってもらいたいと思ったから、授業で宣伝させてもらったの。最初はフォロワー100人が目標だっただけど、開設して一週間足らずで目標達成することができて、今はもっとたくさんの人に見てもらえるように投稿頻度を上げられるようにしているよ!
お母さん:
将来の夢もよく話してくれるけど、起業したいと思ったのは、何かきっかけがあったの?
彩さん:
高校の時にいちご農園のアルバイトをしてたでしょ?そこは20代の方が経営していて、本当にいろいろなことに挑戦していたの。その話を聞いているうちに、起業って面白いな、自分もやってみたいなという気持ちになったんだ。
お母さん:
起業して、どんなことをやってみたいの?
彩さん:
日本と世界がつながるようなビジネスがやってみたい!ただ、具体的なことは今探している最中。そのためには日本のことを知らないといけないから、就職は日本の企業で考えている。最初は、大学生のうちに起業したいなんて浅はかな考えだったんだけど(笑)、いろいろな人の話を聞いて、まずは日本の会社で学びたいなと思えるようになってきたんだ。
お母さん:
拓殖大学に入って、彩の行動力も視野もすごく広がったね。もし、地元の大学に行っていたら、こうはならなかったかもしれない。その視野も、高校生までは地元だけだったのが、今では世界中にまで広がっているね。
(2024年12月対談取材)